経営情報誌ザ・ヒューマンに社長のインタビュー掲載

 月刊経営情報誌ザ・ヒューマン2012年2月号(株式会社 現代画報社)に当社社長のインタビュー記事が掲載されました。
 女優の吉沢京子さんとの対談の中で、ISO取り組みへの想いなどを語っています。
 以下が転載記事です。僭越ながらご紹介させていただきますので、ご高覧いただければ幸いです。

インタビュー記事のご紹介

「紡がれる伝続と高度な技術力を以て土木・建設業界で名を馳せる精鋭企業

経営報誌ザ・ヒューマン掲載東亜興業株式会社社員集合写真

 1964年の創業以来、地域に根差した土木・建設業者として公共工事を中心に活躍を続けている『東亜興業』。
 二代目として同社を力強く牽引する大和田社長は、先代が築いてきた信用と実績、伝統を踏襲しながらも、進取の精神と溢れるチャレンジ精神を以て老舗企業に新風を吹き込んできた。
 小回りの利く軽快なフットワークと迅速な対応を持ち味とする社長にお話を伺った。

経営報誌ザ・ヒューマン掲載東亜興業株式会社大和田久進社長写真    経営報誌ザ・ヒューマン掲載吉沢京子写真

大和田久進          吉沢京子さま

吉沢京子(以下、吉沢)
「まずは、御社の沿革から伺います。」

大和田久進(以下、大和田)
「当社は私の父親である先代が、1964年に創業した会社で、土木や舗装、とび工事を事業柱として運営しています。半世紀近くにわたり地域に根差した経営を続け、その中でも公共工事を主体にして事業の拡充を図ってきました。先代が築いた信頼関係をはじめとした事業基盤を軸に、現在は私が経営の舵を取り、腕利きのスタッフが現場を支えてくれています。」

吉沢
「大和田社長は、ずっと家業を継こうと考えておられたのですか。」

大和田
 「いえ、日々仕事に励む父の背中を見ていましたが、私自身は後継の意志はなかったんですよ。父も私に対して一度も後を継げとは言いませんでしたし、常に自分の好きなことをしなさいと言っていました。しかし、ある出来事に心打たれ、父と同じ仕事に就こうと決意を固めたのです。と言いますのは、学生時代に父の下でアルバイトをしていましてね。その時は志もなく、ただお小遣い欲しさに働いていたのですが、ある農道整備に携わった際に地元の人が「ありがとう」と言葉をかけてくださいましてね。休憩時間にはお茶まで用意して私たちに感謝の気持ちを伝えてくださるんですよ。その時に、人の役に立てる素晴らしい仕事だと感銘を受け、将来は土木・建設業に携わって生計を立てようと思ったのです。それから建設関係の専門学校で知識を習得し、卒業後は東京に拠点を構えるサブコンに就職。5年ほど現場で腕を磨き、修業を終えて家業に入りました。」

吉沢
「社長が家業に加わって、先代も喜ばれたでしょうね。」

大和田
「どうでしょうか(笑)。私が家業に入ったころは景況が低迷し、公共工事も減ってきていましたので、父としては喜びよりも経営者として暗澹たる想いの方が強かったと思います。一方で私は、東京で積んだ経験を活かして会社を守り立てていこうとの気持ちが強く、家業に入ってからは様々な取り組みを進めました。例えば、ISOの認証を取得したのも事業推進の一貫で、私が戻った時に同世代の若いスタッフを増員したこともあって、ISOを取得することで対外的な信用につながればと思ったんですよ。そうして家業に戻って3年ほど経ったころ、父から当社を受け継いだ次第です。」

吉沢
「先代は、社長に経営者としての力量があることを確信して後継を託されたのでしょうね。では最後に、今後の展望を。」

大和田
「今後は今以上に人材育成に注力し、スタッフ一人ひとりが責任感を持ってスキルアップを図れるような環境を整備したいと考えています。また、先代がこの地で築いてきた信用と実績を守りながらも、積極的に新しいことにチャレンジし、さらなる飛躍を目指したいですね。」

ゲスト・コメント
「経営者としてのお仕事の他、営業、現場、経理など、お1人で八面六骨の活躍を続けておられる大和田社長。そうした社長のフットワークの軽さも、お客様から信頼を寄せる要因の1つなんでしょうね。経営にノータッチだという先代も、きっと社長を思ってらっしゃると思いますよ。」吉沢京子(女優)

以上が掲載された記事でした。

実際に記載された記事は、こちらになります。

原本

「地域を育む企業と人」ザ・ヒューマン2012年2月号(株式会社 現代画報社)

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